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ー 創業秘話・開発エピソード

リサイクルキャンプ

COMPANY TALK /

創業秘話

それはスクラップ業・中根金属から始まった

創業者である中根淳は当時、東京から最も近い日本で最初の人工海水浴場としても有名な「いなげの浜」の近くで「中根金属」というスクラップ業を営んでいた。当時の電線リサイクルは野焼き(電線に火をつけて皮を焼き銅を回収する)が主流で、もくもくと黒い煙をあげながら大気を汚染し、また回収される銅も焼けた品位の低いものだった。
「もっと環境に良くて、銅もきれいに回収するやり方は無いのか?」と感じた創業者は、機械エンジニアなどの三人で「株式会社 三立製作所」を創業。1961年に日本で最初の電線皮むき機を開発し「剥線機(はくせんき)と命名した。これが三立機械の創業のきっかけで、今でも経営理念として当社に引き継がれています。

廃電線リサイクル専門メーカーへの脱皮

当時の三立製作所は梱包機の受託生産などの下請け仕事が中心で「剥線機」の生産は事業のごく一部、現会長の中根昭が「自社ブランドの電線リサイクル処理機専門メーカーになる」との強い信念のもと、1977年に現「三立機械工業 株式会社」として再スタートを切りました。

中根昭は愛車の小型トラックで北は仙台から南は名古屋まで地域の有力スクラップ企業を駆けずり回り「大気汚染を無くし作業者も異臭と黒煙に悩まされない。取り出した銅もロスも劣化もない。剥線機をぜひ導入してください」と必死に普及販売に励みます。そのうち、比較的小規模なスクラップ商店主から評価をいただけるようになり、少しづつ導入が広がり始めました。当時ではずいぶん珍しい自動車電話を小型トラックに設置したことで、営業活動の効率化も図ります。「トラックで全国を回るのは体力的にはかなり無理もあったが、強い想いがあり充実した日々を経験させてもらった」会長 中根昭は昨日のことのようだ、と振り返ります。

開発エピソード1

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開発エピソード1

剥線機 電線の皮むき機

当社が名付け親である剥線機は現行でなんと6世代のモデルチェンジをしてきた看板商品で50年以上の歴史があるリサイクル装置です。剥線機での皮むき作業はオペレーターが手投入して銅線を取り出す、装置と道具の中間にあたる機械。そこで作業の生産性を決定づけるのは何と言っても「分離性能」。
創業来こだわり続けている「分離爪」により銅と皮が剥がれて出てくるのが、当社製剥線機のアイデンティティです。現行モデルの剥王シリーズでは、ピカ線JIS規格に適合した銅線径1.3ミリ以上を対象にしており、リサイクルの収益性に妥協なし。調整のしやすさ・ワーク詰りの低減・メンテナンス性向上などでスムーズでストレスの少ない剥線作業を実現できるよう徹底的に造り込まれています。

開発エピソード2

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開発エピソード2

湿式ナゲットプラント

中国の環境保護を目的とした雑品雑線の輸入規制により、現在とても需要が高い湿式ナゲットプラントですが、開発を始めた2000年頃は雑線に資源としての商品価値はあまりなく周囲からは「それ必要あるの?」と疑問視されていました。それでも当社は「いやいや、貴重な銅資源を日本国内で完結できる分離回収技術は必ず必要になる」との信念のもと、トライ&エラーを繰り返し地道で泥臭い技術開発を進めてきました。

後に家電リサイクル法や自動車リサイクル法が施工され、徐々に資源分別が進み、同時に中国が旺盛な需要のもと日本に資源を買い求め始め雑線の商品価値が生まれ始めました。

当初はまだまだ完成度が低かった湿式ナゲットプラントは、ガスバーナー直火から脱水&温風ヒーターによる銅乾燥、中間比重物を除去する3種選別による選別技術の向上、プッシャー式破砕機採用による前処理工程の合理化、などなど長い年月と2世代の大規模モデルチェンジを経て、現在では非常に完成度の高いリサイクル装置として評価をいただき、全国のリサイクラーで使用されています。

しかし、市場環境の変化が激しい中、プラントに求められる性能や能力もドンドン変わっていきます。ニーズの変化に対応していく改良努力は日々忘れずに今日も開発に取り組む三立機械です。

たまにユーザー様に「うちが買った時より良くなってんじゃん」と怒られてしまうことがありますが、どうかたゆまぬ向上心の賜物、とご容赦くださいませ!